敗北宣言

「正々堂々」とか「潔さ」といった価値観が評価されない世界的な風潮といいますか、一体何の得があるのとか、ともすれば全然意味が分からないとまで言われる時代になっているのかも知れません。事実、正々堂々と勝負して負けるよりは、ルールを無視してでも勝つ方がいいに決まっているという行動が、これまで以上に目立って来ているように見受けられます。ところがスピリチュアル的に見ますと、勝ちという結果にこだわり続ければ続けるほど、人生の次のステージに進むことが出来ず停滞すると言えると思います。多くの人が人生で負けを経験します。武道やスポーツの世界ではよく言われることだと思いますが、正々堂々全力で戦って負けたならば、自分の限界を知ることも出来るし、何より潔く負けを認める清々しさを知ることが出来ます。自己の成長があり、そこからスッキリとした心持ちで次のステージに向かうことが可能になるわけです。勝ちという結果だけにこだわる場合、自分を有利にするためにルールを破ることを考えたり、それでも負けたらいつまでも諦め切れないという状態に、絶対にそうだとまでは言いませんがなると思います。もちろんそこに心の成長は期待できません。スピリチュアル業界ですべてが魔法のように上手く行くことを諦め切れないというのも、同じような構図ではないかなと思うんです。アメリカの大統領選挙に「敗北宣言」というものがあるそうですが、これは負けた側の候補者が自分の負けを認めて、相手候補の勝利を讃える演説をすることらしいです。負けを認めることの価値を分かっているからこその文化だと思います。

現実逃避

スピリチュアルと言うと現実逃避というイメージを持つ人も多いんじゃないでしょうか。それもそのはず、この業界には実際に「どこからともなく大金が振り込まれる」とか「どこからともなく理想の恋人が現れる」とかの文字が踊り、奇跡の人生大逆転勝利を信じたい気持ちが強ければ強いほど、まさに現実逃避そのものになり得ます。遊びで身を持ち崩すのとまったく同じ道理なので、深みに嵌まりそうな自覚があるのなら、スピリチュアルはそれこそ「非日常を楽しむ場」として節度を保つように心掛けるのが良いかと思われます。ところが地道なスピリチュアルで重要とされる、自分の内面を深く見詰める内省や内観と呼ばれる作業も、周りから見れば一緒くたに現実逃避と見做されてしまいます。家庭や仕事が疎かになるからそのように見られるわけですが、確かに自分の内面をあまりに見詰め過ぎてしまうと、極端な話、現実生活というものにまったく興味を持てなくなる場合もあります。自分が何を考えているのかを知ることは大切ですが、特に自分の悪いところにばかり注目していますと、人生そのものが消極性に傾いてしまい、現実逃避と言われても仕方ない状態に陥ってしまいます。私たちは現実を生きている人間でもありますから、バランスを取るということが常に大事です。心の糧を求めることは何よりも大事ですが、それによって生きられなくなるとしたら問題です。しかも、これは私の意見ですが、結果的に周囲の人から「人間的に成長した」とか「立派になった」と評価してもらえる方向にならなければ意味がないと思います。若気の至りで少しぐらいバランスを崩すのも経験のうちですが、それがそのままにならないように注意しなければいけません。他方、「神聖な光を見た」とか「自分の本体を悟った」ということで慢心してしまうのは、また別の問題でございます。