スピリチュアルと言うと現実逃避というイメージを持つ人も多いんじゃないでしょうか。それもそのはず、この業界には実際に「どこからともなく大金が振り込まれる」とか「どこからともなく理想の恋人が現れる」とかの文字が踊り、奇跡の人生大逆転勝利を信じたい気持ちが強ければ強いほど、まさに現実逃避そのものになり得ます。遊びで身を持ち崩すのとまったく同じ道理なので、深みに嵌まりそうな自覚があるのなら、スピリチュアルはそれこそ「非日常を楽しむ場」として節度を保つように心掛けるのが良いかと思われます。ところが地道なスピリチュアルで重要とされる、自分の内面を深く見詰める内省や内観と呼ばれる作業も、周りから見れば一緒くたに現実逃避と見做されてしまいます。家庭や仕事が疎かになるからそのように見られるわけですが、確かに自分の内面をあまりに見詰め過ぎてしまうと、極端な話、現実生活というものにまったく興味を持てなくなる場合もあります。自分が何を考えているのかを知ることは大切ですが、特に自分の悪いところにばかり注目していますと、人生そのものが消極性に傾いてしまい、現実逃避と言われても仕方ない状態に陥ってしまいます。私たちは現実を生きている人間でもありますから、バランスを取るということが常に大事です。心の糧を求めることは何よりも大事ですが、それによって生きられなくなるとしたら問題です。しかも、これは私の意見ですが、結果的に周囲の人から「人間的に成長した」とか「立派になった」と評価してもらえる方向にならなければ意味がないと思います。若気の至りで少しぐらいバランスを崩すのも経験のうちですが、それがそのままにならないように注意しなければいけません。他方、「神聖な光を見た」とか「自分の本体を悟った」ということで慢心してしまうのは、また別の問題でございます。