コミュニティ

これまでスピリチュアルな学びと言えば、一人の偉い先生の周りにフォロワーが集まってコミュニティが形成される、というのが典型だったと思うんですが、その形態が変わって行くのだろうと思います。教える立場ではあっても、そのティーチャーさんが信者からの寄進に頼って生活する人間である限り、自分を一段高いところに置くという態度にはある種の欺瞞が含まれておりました。相互依存と言うと悪い意味に聞こえてしまいますが、コミュニティというのは互助の精神があって初めて成り立つものであり、文字通り聞いてくれる人があって初めて教える役割が出来る、という基本をティーチャーさん自身が決して忘れてはならないのではないでしょうか。ところがいわゆる「我良し」「強い者勝ち」の世の中では、強い人が上の立場で弱い人が下の立場というのが当たり前の常識としてまかり通っており、それは(これまでの)スピリチュアル業界でも同じであったということでございます。神の下での平等と社会的役割の違いというのは、階級差別・人種差別と相まって長年政治学の議論のテーマになって来ましたが、どちらかと言えば、上の立場にいる人が態度を改めなければならないと思います。近年「霊魂の上では対等だけど立場の上では教えさせて頂いている」といった態度を取るスピリチュアルティーチャーさんは既に登場していまして、順調に行けば新時代の教師として頭角を現して来ることになるでしょう。しかし、名声を得るに従ってそのような態度を維持し続けることがどんどん難しくなるのが世の常であって、時の試練をクリアして初めて本物中の本物と認定するべきでしょう。その認定をするのが他でもない私たちの役割であるとも言え、それっぽく見えるティーチャーさんに盲目的について行く時代は終わりを迎えつつあるのです。