普通に生きていたら人生をやり直したい気持ちになることって滅多にないんじゃないかなと思うんです。それまでの価値観が壊れるような相当ショックな出来事があった時くらいではないでしょうか。ところがスピリチュアルな道にいると、これまで目標にして来たことが全然意味を成さなくなったり、一番大切にして来たものがどうでもよくなったりする転機が、二度三度と言わず訪れるのが普通だと思います。その都度何のために生きるのかを再設定する必要に駆られるという訳で、その選択次第ではもちろん変な方向に逸れてしまうことも起こるから、油断できないのです。「失敗は成功の母」と言いますが、逸れたら逸れたでそこで重要なことを学ぶんだからそれでいいと教えるティーチャーさんもいらっしゃって、それはそうかも知れません。で何を基準に人生を再設定するかと言いますと、新しい本を読んだり新しいティーチャーさんの話を聞いたりすることで、新しい価値観を仕入れるということが多いのではないでしょうか。難民と称されることがあるように、何が正しいのか分からずあっちこっち渡り歩くことになりそうです。自分にとって何が正しいのかを正しく教えてくれる師に巡り合うことは稀です。ならば自分の本心に聞けとか良心の声に耳を傾けてとか言いますが、日本語には真心という良い言葉がありますので、これがいいとあいのほしでは考えております。本心とは良心とはと言うと、哲学的に意味を定義する必要がやや感じられますが、真心という響きには、言霊と言っていいのかどうか分かりませんが、感覚的な意味がそこにあるように思われます。そこの本質に少しずつでも近づくようにすれば、人生を再設定する際の標準として間違いないということだと思います。