昔の時代みたいにスピリチュアルの道に入るなら決死の覚悟が必要だとは思わないんですが、今の時代でもある程度の覚悟はしなければいけないというのが私の意見であります。何を覚悟するのかと言いますと、周囲の理解がいつまでも得られなかったり、そう易々とは思う通りの結果にならない可能性もあるということをです。もちろん思いがけず悟りが得られて、自然な流れで経済的にも成功する方はいらっしゃいます。精神面と物質面が両方良くなるのがスピリチュアリティの本来の姿であって、どちらか一方を選べとする教えを私はいいと思わないのであります。ところが結局、個人のいわゆる過去世や遺伝をなかったことに出来ないのですから、かなり頑張ったにも関わらず、精神面でも経済面でも期待していたような成果が出ないまま終わることも往々にしてあるわけです。スピリチュアルな人生を選んだことを後悔しないにはどうしたらいいのでしょうか。それは人生の焦点が精神的に成長するとか身魂を磨くというような目的にしっかり定まっているかどうかに懸かっています。言うのは簡単、この社会で実行するのは難しい、結果を出せない状況ならなおさら困難というわけで、いわゆる「誠一筋」とか「真心」という言葉に集約される元の元の生き方にその都度戻って来られるかどうかだと思います。真心で生きるなら余計な知識は必要ないし、そうでないならどんな知識も意味を成さないということであります。