これまでに存在した宗教やスピリチュアリティの文脈では、未来の人類社会がこうあるべきというビジョンが具体的に描かれることは少なかったのではないでしょうか。もちろん明確なビジョンを語った宗教家が過去に誰もいなかったわけではありませんが、今現在は未来を思い描くスピリチュアルティーチャーさんがほとんどいないように感じます。宗教があまり具体的なことをやろうとすると危険視されるのも事実でしょうが、誰かがやらなければ何も変わらないこともまた事実でしょう。世界がおかしな方向に行っていると大多数の人が感じているはずなのにこの流れを止められないのは、いわゆる大衆が未来のビジョンを欠いており、どのように行動すれば良いのか分からないのが一つの原因だと思います。一方、世界を動かす力を持つ極少数の方々は明確なビジョンを持ち、具体的かつ綿密に立てた計画を一つ一つ実行に移していると言われております。私たちが何も思い描かない限りにおいては、錚々たる方々が勝ち続け、その他大勢が望まない方向に世界を持っていけるぐらい、ビジョンの持つ力は強いのだと言えます。ところが実を言えば、富裕層に向けた高額な商品やサービスのみを提供する企業があまり伸びず、大衆が欲しがる商品やサービスを提供する企業が最も大きな富を得ることからも分かる通り、いわゆる大衆の力というのは最強です。よく分からないスピリチュアルな空想に耽り、「気づいたらいつの間にか世界が素敵な場所に変わっていますように」と神仏にお願いするのが今現在の私たちの態度かも知れませんが、それではやっぱり世界は変わらないだろうと思います。やりたいことをやれ、なりたいものになれ(カウカウ「イノセント・チャイルド」)という基本信条に私は賛同するのですが、それも夢があってのことです。本来精神的に立派な人の役割には、未来に夢を描き、それを実現するために誰でも始められる具体的な一歩を示すことが含まれると思います。ましてや未来など関係ないとするスピリチュアルティーチャーさんは、これからの時代には合わない可能性があります。私たちの小さな行動こそが世界を変えるのであります。